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スピリチュアルとか、絵とか、音楽とか、ゲームとかの話。基本的に作る人視点。マニア向け。

私のようになりたいと思っている人に充てた話(そんな人いるのか?)

最近、どうも色んな人に妬まれているなと感じます。

そういうエネルギーが届くからです。

「妬み」とは、うらやましいから発生するものですが、私の人生をすべて知れば、私のようになりたい人はいないと思います。

しんどいことが多すぎるし、普通のことができないっていうのは、すごいストレスのはずです。

 

なので、妬まれる筋合いはない。と思ったのですが、「努力を隠してるから妬まれる」と、霊界から言われたので、なんかてけとーに書いてみます。

 

私の生活って、一般的にはみじめな暮らしです。

どこにも馴染めず、友達も少なく、お金もない。

私の場合ほんとうに要らないから手放したんですが、最初は劣等感もきつかったです。

 

(実際に、友達を作って馴染んだりしてみたんですが、なんか全然面白くないので、本当に付き合いたい友達とだけ仲良くなろうと思いました)

 

嘘なくポジティブに生きていて、自分が好き。

そう言うと、私はただの幸せな人に見えるかもしれません。

しかし実際は、自分の価値観と、現実とのギャップが大きく、この喜びを共有できる人は滅多にいません。

 

私が素敵だなと思う人が、その人自身を信じていなかったり、私を利用しようとしている人を(相手が私を利用しようとしていることを知りながら)素敵だなと思ってしまったり、下らない世の中の小競り合いをほほえましいと感じてしまったり。

全部が幸せというのは、全部が悲しいということにも通じるのです。

 

別に、それでいいと思っています。

それでいいからこそ、この愛情が伝わらないことが残念でもあり、それが自分の生きる喜びにもなるのです。

 

妬まれる一番の要因は「人と違う」ことでしょう。

私は好き好んで「人と違う」という状態になっているので、よけい幸せそうにみえて腹が立つかもしれません。

 

幼いころから、私は天才だと言われていました。

そういうことを言うと、マウンティングされるのは目にみえてるのですが、各位じぶんのみたものを信じてください。

別に、私は才能を認められたいとかそういうのはありませんから、認めていただかないほうが返って刺激的で楽しいです。

 

主に芸術系のことをやると「勘がいい」そうです。

正直よくわかりません。

楽譜をスラスラ読めるとか、絶対音感があるとか、そういうわかりやすい才能ではなく、「何だかわからないけど、なんかすごくいい」という地味な才能です。

 

どうやったら、みんなの心に響くのか、簡単にわかります。

いますぐ日本人の8割の心に響く曲を作れと言われたら、たぶん30分くらいで作れます。

大体のひとは、流されて生きてるからです。優しく悟られないよう流してやれば、ころっと流れるのです。

はっきりいってツマンナイです。

 

感動する曲を作る場合、私は言いたいことを言ってるのではなく、言ってほしそうなことを言ってあげてるだけなのです。

私の言いたいことはブログに書いてあるようなことであって、音楽にするのとはまた違う泉から引っ張ってくることになります。

できるのならなぜやらないのか、そう思う方もいるかもしれません。

しかし、私にとっては「なぜそこまでしてやる必要があるのか」という疑問があります。

 

しかも、私も他人も宇宙の根源でつながっているという価値観から、「他人に伝える」という行為すらよくわからず、結局ウロボロス的な、宇宙から見ると∞←こういう状況になっていることが妙な感じです。

褒める人も、なんか精神的な見返りを求めて褒めてくる場合が多く、必死になって褒められるほど、「あーどうでもいいー引きこもりてーほっといてくれー」と思います。

私は、皆が皆を好きになってくれたらいいなって思っているだけなのに。

何かを作ることでよけい劣等感を感じさせたりとか。(いま思えば、これって相手の問題なんですけどね。)

 

あ~、結局本当に信じていいのは自分だけなので、わたしは一生ナルシストでしょう。自分最高。

 

抽象画を描くのは、結構楽しめます。だって意味がわからないし、評価もされなくて当然だし。

皆わけがわからないはずなのに、一応初対面のときは「素敵ですね」って言ってくるので、中々楽しめます。

本当は私のことなんかすごいと思ってないのに、一応話をあわせてるんだなーって感じの人とかをみるのが楽しいので、お世辞を言われるのも悪くないですね。

 

話がそれました。

 

もしも私が天才であると仮定して、才能を得るためには何をすべきか、と聞かれれば、「すべてを愛すこと」と答えるでしょう。

失敗も、争いも、悲しみも、自分の人生に起こったすべてを受け入れることです。

どんなことでも、少しでもやってみたいならやってみて、少しでもやりたくないならやらない。

そして何が起こっても、何を言われても、自分の責任だと腹をくくることです。

 

受け入れるっていうのは、許すというのとは違います。

「こんなことあってはいけない」と思わないことです。

別に恨んでもいいんです。自分の持っている要素を、抹消しようとしなければいい。

 

才能が無いと自分で思いこんでいる人は、皆「足りない」と思っています。

足りないところを努力で埋めれば、天才になれると思っているのです。

しかし、それは罠です。

 

私は一般的に、人間の中では圧倒的に足りていないほうです。

ほかにも色んな天才を見ましたが、皆色々足りていません。

共通してるのは、皆じぶんに嘘をつかないということです。

そのおかげで、社会生活が危うい方ばかりです。

 

足りないところを付け足そうとしても、あまりいいことにはなりません。

付け足そうとすると、「自分には足りない」ということを具現化した現実が待っています。

そこで発想を逆転して、足りないところを全部見せるようにしてしまうと、周りからみたとき「すべてある」と同じ現象になるのです。

「無い」という観念をなくすことで、「すべてある」という状態に持ち込むことが可能です。

私が、ときどき妙にすごい人間だと間違われるのは、足りないところを全見せしているからです。

 

それが、弱さをさらけ出して生きるということです。

 

まあ、そういうふうに自分をさらけ出して生きていけば、自分の持ち味は開花するでしょうが、はたしてそれに耐えられるでしょうか。

自分の魂が開花するということは、それ相応の嫉妬などを受けるということであり、いちいち他人の目を気にする人にとっては、自分の魂なんて一生知らないままのほうが楽かもしれません。

 

こんな惨め(幸福)な状況のわたしをなぜ妬むのか。

それとも、ここまでしてるから妬むのか。ほっとくしかないとはいえ、気になるので記録として記しておくぞよ。