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スピリチュアルとか、絵とか、音楽とか、ゲームとかの話。基本的に作る人視点。マニア向け。

いい作品を見ると拒否反応が出るしくみ

ども。

 

わたしは、いわゆる芸術好きです。

 

と言うと、最近では「こいつ意識高い系なんだ! そういう自分がカッコイイってアピールしてるんだ!」って思われてしまうこともあるのですが、ぶっちゃけ芸術が好きで得をすることはほとんどありません。

 

小さい頃から絵が好きだったので、図書室の自習とかでモネの絵をみていたりすると、「あいつキモい」と言われることのほうが多かったです。

実際、10代後半になるまで、リアルの人間関係で「女の子」という扱いを受けたことがありませんでした。

たぶん、オノヨーコを見た一般人と同じような気持ちにさせていたのだと思います。

 

それで、芸術なのですが。

自分の場合、作品の構図も技術もどうでもよかったりします。かかった年数もどうでもいい。

私の興味は「作者がどう生きたか、何を伝えたいのか」という点。

 

どういう作品が好きかっていうのは、完全に人それぞれですので、どれが高尚とか低俗とかいうつもりはないです。

「好きか嫌いか」「心に残るかどうか」「本当に作りたいものを作れたのか」「時代に逆らっていたか」「その人が本当に生きたい人生を生きることができたのか」

私の場合は、そのあたりが大事になってきます。

 

逆に、さまざまな方がいらっしゃっていいと思います。

それが多様性を受け入れることだと思っています。

もちろん、芸術における正しさを討論する方もいらっしゃいますが、それはそれでひとつの芸術との関わり方だと思います。

 

いわゆる「一般社会における真面目な勉強」をしてるわけではないので、見たいときに見たい絵を見るくらいですが、

私が「心に残る作品だな~」と思った絵は、初めて見たときすごく拒否反応が起こります。

ようするに、反射的に「嫌!!」と思ってしまうのです。

 

実際は、「嫌」なのではなく、「自分の心の一部に反応して感情が想起されている」のですが、現代社会において人は核心に迫られることがありませんから、違和感を覚えてしまい、それが「嫌」という気持ちになりやすいのです。

 

あとは、単純に「情報量が多い」ということもあります。

篭っている気持ちが大きい、魂に近い作品は、シンプルな絵でも非常に情報量が大きくなります。

定型発達の方は、いらない(と思っている)情報をシャットアウトするからまだマシだと思いますが、発達障害もちの人はシャットアウトがしづらいので、とくに疲れると思います。

 

ほかにも、絵の具に有機質のものを混ぜたりとかでも情報量が多くなります。

(混ぜるものや組み合わせによって危ないこともあるので、やるなら自己責任でお願いします)

 

あと、「波長」ってやつです。

何かを突き詰めているものとは、波長を合わせようとするだけで疲れます。

これは絵より音楽のほうがわかりやすいかもしれません。

音楽好きじゃない人と音楽の話をしていると、「椎名林檎が受け付けない」とかよく言われるんですが(私は好きです!!!!とくに3thアルバムが。)、そういうのに近いです。

 

なので、いい作品を見ると疲れます。

精神的負担です。

情報量が多く、個性的であったり、伝えたいものが多いものを見るのは、非常に頭にとって大変なのです。

しかし、波長を合わせることができたときのリターンは非常に大きく、気づきと深い没入感を得ることができます。

 

 

昔、こんなことがありました。

アジカンのアルバム等、さまざまな有名作品のパッケージイラストを描かれている中村佑介という方がいらっしゃいます。たぶん、名前を知らなくても見たらすぐわかります。

(本屋をうろちょろする人は1度は見たことあるはず)

 

私は初めて見たときすごく拒否反応が出ました。10代の頃です。

ぶっちゃけかなり妬みに近い反応です。

今思うと、「なんだよこのオシャレ野郎な絵は!!」という気持ちが想起されたのです。

スタイリッシュで斬新だったのを見て、羨ましかったのだと思います。

 

後からインタビューをみて驚いたのですが、この方は、「こんな作品じゃ商売にならないぞ」と先生方に言われていたそうです。

当時はアニメ的な立ち絵のほうが好まれており、先生にとっては使い物にならない(仕事を取ることができない)作品だったそうです。

そのエピソードを解釈すると、「彼は決してウケを狙ってこういう作風になったのではない」とわかります。

 

彼の主なスタイルである、

・美少女ではない、そのへんの地味目な女の子の良さ

・背景や小道具を組み合わせてのストーリー作り

この2点は、彼が独自で思いついたものだそうです。

個性派っぽいのに受け入れやすいキャッチーさも、なんとも言えずバランスが良い。

 

 

しかし、実際そこまでの気持ちを抱かせる絵を描くのはものすごく大変なのです。これはやってみればわかります。

 

今思うと、「スタイリッシュで斬新な彼の絵が嫌い」というのは正しい分析ではありません。

「彼は自分に無いものを持っていて妬ましい」という思い込みと反応したのです。

 

でも、「彼は自分に無いものを持っている」というのは事実なのでしょうか?

もし本当に「自分に無い」のであれば、そもそも感情を揺さぶられることすらないのです。

 

私は、世界的な天才画家といわれている某・歴史的有名人の絵をみても、感情を揺さぶられません。

すごいけど、どうでもいい。

すごいけど、なりたいとは1mmも思わない。

この状態が「全く自分に無い」なのです。

 

共感したり妬んだ時点で、「自分には有る」のです。

少なくとも、「なりたい」という気持ちがあります。ということは、理想像のひとつの候補になるというわけです。

 

ただ、ほとんどの人は、「自分はそれを伸ばす努力をしてこなかった」と思い込んで辛い気持ちに変換していたりとか、「自分の感情と向き合いたくない」「このままがいい」という風に思うらしいので、それが「できる人とできない自分」という対比を作り出して、妬みという感情に転がってしまうのだと思います。

 

しかし、そこで、他人が素晴らしいということを素直に受け入れるというのが、心のトレーニングになります。

なぜなら、他人を受け入れるには、自分のすべてを受け入れないといけないからです。

(これはやってみればわかります)

 

自分に対して許せない物事があるうちは、対応している他人の物事も許せないのです。

 

簡単な例を挙げると、「勉強しなさいと強制されている人が、サボっている人を見ると不快になる」というようなもの。

これは、「自分は勉強しなくてはいけない」という心理から、「サボっている人が許せない」という気持ちに転換されるのです。

 

もしここで、「自分は勉強したくてやっている!」「助言が正しいと思ったから、勉強をしている!」「やっぱり向いてないから勉強しない!」というふうに、自分の意思と責任で「勉強するかどうか」を選択していたら、サボっている他人を見ても、「あの人は好きでサボっているんだな」という風に捉えるようになります。

 

自分がどういう世界を見ているかは、すべて自分の価値観が作っているのです。

 

体の痛みは病気のサインといいますね。

「このままじゃ悪くなっちゃうよー」という体からの警告です。

そして、心の痛みは「そのままじゃ傷つくよー」というサインなのです。

 

「拒否反応」は、自分というものを教えてくれる、非常に素晴らしい感情です!

みなさまも、そういう風に作品を見てみてはいかがでしょうか。

 

 

おわり。

 

(本文は、基本的に敬称略ですが、みなさま尊敬している方ばかりです。)

(色々な作品を見ても全く何も思わない方がいるそうですが、本当に自分が感動できるときだけ感動すればいいと思います。)